弁護士と聞いて、どのようなイメージをお持ちでしょうか。敷居が高い・・、弁護士費用が高そう・・、些細な問題には相談に乗ってくれなさそう・・、お金になれば悪い人の弁護も平気でする・・、マイナスイメージばかりですね。
でも、意外と、そうではありません。社会の片隅で正直に、懸命に生きている人々が、不当に権利を侵害され困っている。無名だけど、そのような社会的弱者と呼ばれている人々の権利擁護のために、一生懸命活動している弁護士がたくさんいます。
私は、この10年間、司法研修所や中央大学と慶応大学法科大学院で刑事弁護教員を務めてきましたが、いつも学生に、弁護士の「弁」の文字はどう書くかを問いかけています。
学生は、「弁当」の「弁」の字ですと答えます。弁護士自身も、今は「弁護士」と書いていますね。昔は、「辯護士」と書き、旧字の「辯」の字を使っていました。この文字のほうが、弁護士という職業をよく表していると思います。
漢字源を引くと、理屈めいた議論の意味だそうですが、私は、「辯」の文字は、弁護士の姿そのものを表していると意味付けて、学生に説明しています。
つまり、弁護士は、辛い(つらい)職業である。民事事件で言えば、依頼者からの要望、期待を背負い、相手方からは厳しい反論をされ、依頼者と相手方の間に挟まって、辛い思いをしながら、弁護士として言わなければならない。また、刑事事件であれば、法廷で検察官と裁判官を相手に、辛い思いをしながらも、被告人の唯一の権利擁護者として、被告人のために言うべきことを主張しなければならない・・・からです。
でも、「辯」に込める意味は、その意味だけにとどまらず、次のように、説明しています。弁護士という職業は、憲法に登場する唯一の民間人で有資格の職業です。憲法37条3項で「刑事被告人は、いかなる場合にも、資格を有する弁護人を依頼することができる。」と定めています。これを受けて、弁護士法1条には、「弁護士は、基本的人権の擁護と社会正義の実現を使命とする。」と定めています。つまり、弁護士は、数ある民間人の有資格の職業の一つにすぎないけれど、憲法で保障された基本的人権の擁護者として極めて重要な使命を担っていて、国民の皆様から、そのための活動を強く期待されている、社会性の高い、崇高な職業といえると。
現在の日本は、民主主義が広く根付いた社会といえます。しかし、他方で、日本人の国民性から、会社や役所、学校など一定の仲間内の社会で、多数意見に対し、異なる意見を言うのは大変勇気のいることです。なにか有事が発生したときには、国民の多数が一定の方向に意見が集約され、そのときに、あえて反対の意見を有していても、会社、役所、学校など組織に縛られている人々は、声に出して反対意見をいうことができなくなってしまいます。一瞬にして、民主主義が危うくなってしまうのです。ですから、誰からも縛られていない弁護士は、どんなに辛くても、社会のために、期待している多くの人々のために、「言うべきことを言う最後の職業」として、存在価値を有しているといえます。
最近の若い弁護士の中にも、そのような意識をしっかり持って世の中の人々のために働きたいという熱い思いのある人々が多く育っています。頼もしいですね。(林)